無からの創造―辰野登恵子展「UNTITLED」に寄せて
「平面絵画は、摩訶不思議な顔料と筆を介しての、無からの創造、「立てる行為」である。……今回の作品は、まると四角、あるいはそれに類した形を使ったが、その形を連ねたり、重ねたりすることで、抽象的なるものと幾何学的なるものを離れた存在物を現したかった。」
辰野登恵子は、1991年のギャラリー米津での個展に際して、パンフレットにこのようなコメントを残した。前年の90年から辰野は、絵画作品に対して「UNTITLED」というタイトルを付けはじめる。90年以降、タイトルが(《March-3-98》のように)日付へと変わる98年頃まで、辰野は絵画の題名を「UNTITLED」に統一した。80年代においても辰野は「WORK」という特に意味を持たないタイトルを付けており、グリッドで知られる70年代の辰野の版画にも「UNTITLED」という作品が存在する。辰野は作家として出発してから、2000年代以降の一部の作品を除いたほぼすべての作品に対して、「WORK」、「UNTITLED」、日付といったタイトルを付けることで、絵画の内容よりも絵画自体の表現に目を向けさせてきた。その意味で辰野は、抽象絵画としての基本的な在り方を守ってきたといえる。
しかし、辰野の絵画における主眼は抽象性よりもむしろ、絵画としての実体性やリアリティに置かれていたのではないか。冒頭の引用に倣えば、辰野が絵画に現したかったものは「抽象的なるものと幾何学的なるものを離れた存在物」なのである。そのために辰野は色彩と形象という絵画の要素について熟考し、キャンバスの中でイメージがどのように立ち現れるかを試行錯誤していたと考えられる。
今回展示される辰野の未発表ドローイングのうち、その半数は1991年から翌年にかけて描かれたドローイングである。丸や四角形が連なっているような、90年代の辰野の絵画作品に現れるイメージが、長辺30センチ、短辺25センチ程度の紙に木炭や水彩で描かれている。木炭の線が丸や四角といった形態を象り、そのまま木炭で塗りつぶされる形態もあれば、白い水彩絵具がついているところもある。特に《UNTITLED (D155)》では、平面的な形態の組み合わせだけではない凹凸感や陰影のイリュージョンを試みていることがわかる。また《UNTITLED (D159)》のように、わずかに斜めに傾いた四角形と深みのある青い色彩は、単純な形態でありながらも単なる幾何学的抽象ではない強固な存在感がある。
辰野が描く抽象的な形態は、平面的でハード・エッジ的な幾何学的形態を構成することでもなければ、絵具を縦横無尽に行き渡らせて絵具の物質性や支持体の平面性を強調することでもない。確固とした形を定め、手で直接支持体に描き込み、色彩と形態による繊細なニュアンスを制御することによって、画面の中にイメ―ジを作り上げることが辰野にとっての絵画なのである。
(川上知也・多摩美術大学美術学部芸術学科4年)
UNTITLED (D155) charcoal, watercolor on paper 30.5×25.0cm 1992年
UNTITLED (D159) charcoal, watercolor on paper 31.0×25.0cm 1992年